古くから変わらないものがある。癒着と政治家だ。
どの時代、どの国でも行われている。民主主義
の暗黒面だ。それでも、暴動やクーデターが
起きないケースがある。民衆に十分に
お金が渡されている場合だ。生活が
安定して入れば、不満はおきない。
だが、メディアを抱き込み、統制を
する偽りの平和や平穏は嘘だ。
猪瀬知事も、舛添知事も、反対しなかった
豊洲の盛り土、汚染水、公害を
小池知事が初めて明るみに出している。
これが政治家の役割であり、資質だ。
情報を公開して、透明を増せば
ある程度防げる。党派に関係なく、
有能な政治家がトップに立てば、
公務員は動く。リーダー次第なのなのだ。
民間はどうかと問われれば、民間も酷いものだ。
このローマから続く、腐敗はずっと続いている。
マスメディアは大衆にこれを伝える
義務がある。抱き込まれて、会食する
ようではだめだ。ある程度距離を置き、
一定の緊張感がメディアとの間には
必要だ。新聞の矜持が観たい。
新聞は政治家の犬ではない。
広報になりたかったらどうぞ。
でもそれはジャーナリズムとは言わない。
何もかもが握られ、オリンピックは
利権だらけだ。だが人々の良心が
素晴らしいオリンピックに変えられる。
全てを抵抗できなくしたら、
それは「ナチス」である。